2013年2月14日木曜日

帰国日







最終の帰国日。朝から豪雨。
だから植物も育つわけですわ。

しかし、帰国にあたり身体を濡らす、特に「靴」は濡らしたくない。

ならば、大きなショッピング・ゾーンに行くしかあるまいと、いみじくも先日まで滞在していた
セントーサ島の対岸にあるVIVOシティに行く。




それはそれで物凄い人。しかも施設は広大で正直参った。

正午少し前にフード・コートでやはりシンガポールと言えば、チキンライスをば。
こういう場所はすぐに満員になり、席を取るのも困難になるので正午少し前はお勧め。


ぶらつくも、休みのない研修が祟ったか、身体が悲鳴を上げている。
眠い、だるい、だるいの二拍子で、初めてハーゲンダッツのカフェに入った。
糖分も欲しているのだろう。
勝手に単なるアイスクリーム屋さんと思っていた結構なカフェで結構。

ゆったり休み、ぶらついてホテルに戻る。


荷物を受け取ると、たまたまえらく豪勢なタクシーに当たって、空港に一直線。
以前もそうだったが運転手はよく電話をしながら吹っ飛ばしいる。
まぁ、市内から空港まではやたら直線なので良いが、清潔に関してはルールが厳しい割に、
地下鉄での通話や車内の片手運転は良いのがおもしろい。



帰国は不詳私などが恐れながら(しかしLCCながら)プレミアムクラスを利用する。
エア・アジアのそれはレッド・カーペットクラブと呼ばれ、チェックインも
絨毯の惹かれたプライオリティなのだ。

しかし色々ありました。

①空港でそこに並ぶと担当のおばさんはあっちに並べという。

②並ぶ。お姉さんがどうぞここへ、という。

しかし、

③その直後にどこかに消えた。

ではと、

④目配せをしたらお兄さんと目があって、どうぞ、と合図される。

⑤そこに出ました中国人!なりふり構わず割り込む!

スタッフも制する事態諦めてこちらを見て苦笑い。
まぁ国際問題に発展しかねないのでここは堪えた。
普通なら英語でどやしつけるが、妻に制された。


さて、

⑥順番が廻って来た。チェックインが始まる。

⑦あなたはプレミアムなのでちょっと待って、と、先ほどのレッド・カーペットのおばさんが
飛んでくる。色々な優先タグやラウンジの招待券を準備してくれる。ならば始めに君がしてよ。

何が何だかわからない。まぁ結果は親切だったが、

⑧多分、我々の常識など非常識なのだ。



隣でどうやらクレームで怒鳴り廻るのはまたもや言わずもがな@@人集団。
スタッフが「彼らはホットだからね」と二ヤっとした。
13億もいれば主張してなんぼ、なんでしょうな。
確かに我々には品があると思う。


ラウンジは使用しなくても良い位にこのチャンギ空港は充実している。
空間的で旅客に対する配慮は日本の比ではない。




懐かしい、と思った。私の留学時分は、まだソ連が存在し、ロシア上空を飛べない時代。
アンカレッジ経由の直行便などは高値の花。
利用したのは、何言おう、通称「南周り」シンガポール航空だったのだ。
当時は一年オープンチケットで30万円!

ここのターミナルで行きも帰りも6時間は過ごした覚えがある。
当時はパソコンは当然、携帯もネットも何もない。
ただただ寂しく時間を潰したものだった。特に行きは不安が多く、辛かった記憶がある。

おまけにどうだ。現在ではシンガポール航空自体が高嶺の花のキャリアになってしまった。
高価でいち凡人には到底無理な価格展開だ。

シンガ13時45分発の(昼便で6時)普通の時間に移動帰国したい、とつくづく思う。
LCCって・・・。


雨のチャンギ空港から晴れた空をのぞむ



我々は日本時間の23時前に飛び、クアラルンプールでいらぬトランスファーをして関西に向かう。
最後の褒美がフルフラットシートとなるわけだ。これは眠れる。
しかし関空に朝の9時前に着くのでざっと10時間はかかる。


今回、全体的に「体力の無さ」を痛感した旅行だったと思う。

非常に非日常で、刺激もあり自分を取り戻し、次への鋭気を養うのには成功している。
夏の台湾への準備も集中して出来た。

また、このモチベーションで一年度を闘える。

上記したように、加齢による身体の虚弱さが、心と行動とのバランスを失う事が多々ある。
したい事は強い意思を持って若いうちにして置かなければ、
また国際移動の面倒さやシステムを多々経験しておかなければ
いつか全てが面倒になりそうで哀しい。

と、言いつつも、来年はここに数泊してここに行こうね、
等とはしゃいでいるのだからまだ大丈夫ようである。

では、クアラルンプールに飛びます。


スカイ・ビュー・ラウンジで最後のひとときを


@シンガポールチャンギ空港