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2013年6月13日木曜日




私の奇妙な歴史をお話しましょう。

私は手前味噌ながら非常に優秀な兄妹の真ん中で育ち、そこそこの苦労かつ、えげつない苦労を
した決して順風満帆では全くない人生を送って来ました。お金ではありません。

両親には理解され、当時は高額だったロンドンの市立音楽院で徹底したリコーダー及びリコーダーアンサンブル、古楽アンサンブル、ルネサンス、バロック、古典教育をち血を吐くほど勉強して来た次第です。人種差別や主張の難しさや、孤独までを学んだものです。

当時の師匠:フィリップ・ピケには徹底した初心者用のエチュードを徹底的に叩き直され、それは
現在の愛すべきお弟子連に確実に伝えていっています。基礎を磨け、と。



幼少期にはカナダのEdmontonに暮らし、帰国時は日本語が不便。
帰国子女など、響きは良くても 3年生の子供には全く理不尽な事だらけでした。

英語が先行するために軽いいじめにも会い、帰国子女受け入れ校の芦屋まで、西宮から
バスと電車で通学。小学3年生には全てが酷な数年間でした。

子供なりのストレスを味わい、登校拒否(現:不登校)になり、日本式詰め込み勉強とい
うレールから徐々に外れてきます。

中学時に親の転勤で長崎へ。

当時の九州ではようやく習得し直した日本語が関西弁であったために、凄まじいアウェイ感を
感じたものです。どげんしよっと?おいがわいのうちにくるけんね。。

受験戦争に巻き込まれ、何とか合同選抜の長崎市立の5校のうちの北高校に入学。

クラブはオーケストラ部で指揮者。モツレクやフィンランディアを指揮したものです。
当時の九州では唯一のオーケストラ部。しかし受験校で音楽学部を目指すだけで
教師にいじめられたもんです。未だ軍国主義の残る地方での教育は馴染まぬ環境でした。

また、ギターの友人と共に学祭でアランフェス協奏曲を演奏し、学祭の格を上げたものです。
ここら辺から、ねじ伏せ現象が怒り出しました。

ギターは友人の尾崎俊徳君でした。ピアノ伴奏は私。
多分ピアノが弾ける男子高校生は長崎で私だけだったことでしょう。

プログラムに掲載された文章は

ギター:尾崎俊徳、ピアノ:その他

でした。その他、と秋山 滋 の字数は同じではないですか?



特に目立ちたい性分ではありません。脳ある鷹は何とやらです。
しかし、「事実を伝えない周りの配慮の無さ」には驚きました。

前記、オーケストラの指揮も当時は相当没頭にしていました。
勉強に不向きな分、当時のベーム、カラヤン、アバド、ムーティ、クライバーなどに
傾倒、没頭していったのです。


2年後に購入した卒業アルバムに掲載された指揮者は私の後輩でした。
クラブ全員の写真も私は確か大阪へリコーダーレッスンに行っていた時に撮影され、
私の存在は全くありません。


下らないことでしょうが、当時は寂しい気持ちになったものです。
まぁ、記録に残らない人物の快進撃はここから現在に至ります。

写真なども質の悪いものでは目が無い、だとか。
大学でも非常に苦労してあらゆる教本を作成し、日々努力もしていますが
どことして正しく記載されていません。敢えてかもしれませんが。


相当な確率で、私の性名や存在を消されているのです。
ここまでくると、何か妙な勘ぐりをしてしまう始末。

音楽家同士なら、まぁ張り合ったりすることもあり、わざと相手を貶めたりも
あるようですが、こちらの苦労が伝わならない事の多さは、他の音楽家に比ではありません。

前記、決して目立ちたいなどの非常に非常に低レベルなハナシをしているのではなく、
正常に業務をこなしている人間に対する仕打ちのハラスメントは尋常じゃない程度に
多いことに、不思議な疑念を抱いている次第です。


裏方で動いて差し上げている事も多いのですよわたし。


ホントに裏方と思っているあたりにはトホホなのですけど。


この年になると、モチベーションの維持は非常に難しくなります。
ましてやリコーダーなどは楽器的には非常に難しく、故に私は浮気をしませんが、
相対的に芸術作品が少ない。例えば、ベートーヴェン、リヒャルト・シュトラウスなど演奏は
出来ません。

たかが、名前。たかが、写真でしょうが、
私の露出が少ないのは、そういう見えない圧力、運命の所以のようです。


ちなみに、いままで大学のアルバイト講師歴は5校、現2校。不運な非開講二コマを除き、
八コマ(90分×8=720分!うち、三っが異なる講義内容で、毎度毎日の用意が大変)。

輩出した大学生は2千名を超え、時には過酷でハードな通訳もこなし、楽譜も出し、
四半世紀それなりに業界の底上げに奔走しているのですが、出世も消え、どうも
己のミーハー度が少ない上、それを嫌悪しているために、正しく伝えられない事実が
多いようです。

不思議なくらい、きっちりと普通に紹介されることが無いのはもう運命ですね。
今回はどうやら私には悲運な人生でした。



最近になって、諦めて始めましたが、故にあと10年がせいぜいかと思いはじめています。
「少しの配慮で、正しく伝える人」が一人でもいたら少しは報われるのですが。
恐らく神様とやらのイタズラか何かなんでしょうか。


因みに、9月に台北国立音楽庁のホールと新北市でデビューする私のポスターは、残酷なまでに
私の意に反し、クレームも無視されたため、恐らく皆さんに閲覧して戴く事はないと思います。
さすがに恥ずかしいし、不本意そのもの。あまりモンクを言うのも品格と教養にかけるため我慢。
自分の尺で他人を考えるからあまりにも異なるモノが完成し、こちらは驚愕という始末の連続。
特に世代が異なる男性に多い傾向。


なんで、こうなるの!という顕著な作品例になり、台湾には既に出回っているとの事。


もし、応援下さる方がいたとすれば、理不尽に扱われるコトに正直少々疲れて来たので、
このまま扱われて行くようなら、もしかしたら、その理不尽に心が折れるかもしれない、という
事実をここでお伝えしておきます。



眠れぬ夜が続きますわ。