2024年9月9日月曜日

美味しいものでも食べて Ⅱ


都合、義理母の特別養護老人ホーム入居にその娘の夫、第三者として付き添いました。

その内部の凄まじい現実を目の当たりにすれば、私の人生設計に役立つ事に加え、やれ仕事だのと忙しがる日本人が増えた現実には自分を充当させたくないし、しっかりと人生の最終的な流れと向き合いたかったからです。何より横で感情を入れずにハナシ聞く人間が必要かと思います。死生観は強要出来ませんが、この事実に寄り添えないよりはマシと考察します。


さて、この時勢、自分は特別だと信じて疑わない高齢者が存在し続け、それに振り回される(逃げない)中年層の一部が精神を蝕まれ、交通事故やうつ病を発生するのは珍しくありません。実際にそれだらけです。必ず人生には終わりが来るのに考察しないなんて愚か。

そのモヤモヤを解決するには、せめて近くで意見する同志がいることは必要なです。



①自宅で脳出血:発見〜救急車:搬送

②急性期病院:入院

③リハビリ病院:入院

④老健:入所

⑤特養:入居

という順番が、いわばスタンダード化しているようで、突発死や病気や癌ではない場合のコースかもしれません。そこそこ覚悟しましょう。現実を知っていると、アドバンテージがあるでしょう。


しかしそこには、非常に丁寧なプロの職員の方々が仕事を展開されており、全く頭が下がる想いでした。およそ私には出来ない事だらけです。

上記、「入院」と「入居」には物凄く違いがあります。入居は即ち、終の住処。



さて、いわゆる「入居者会議」に参加しました。そこには、職員の方々、ドクター、ナースがおられます。実父の入院時にも「会議」に参加しましたので経験者です。

ここで、多々質問をされ、希望も聞かれます。救急時に搬送して欲しくない病院を告げましたら、ドクターに「それを言ってくれたほうが良いのです」とお礼を言われました。意見が無いのにモンクを言う輩がさぞいる、という事でしょう。不細工な事です。

このような事は感情を入れずに、また、書類や積年の想いがある身内の頭がいっぱいの場所では横から告げるべきかと思います。




昼食に立ち合いましたが、その場所の光景は言葉に出来ない程でした。ご自分で食べれるだけ良いのかと感じます。

質問しましたら、最高齢が105歳、最低が40代だそうです。もう他人事ではありません。



二時間程で帰宅する際に艶やかなお部屋を見たら、すわ。「ここは、看取りのお部屋なのです」と。要するに、間も無く天使のお迎えが来る方がおられ、詰所からいつでもわかるようにしてある場所、との事でした。会いに来ない家族もいるそうです。お一人で寝てられました。


くれぐれも「健康なうちに、美味しいものを食べて、行きたいところへ行きましょう」。




最終的に「空海」が書いた著書にあるように、

名誉などは幻であり、その幻を越えたところに万物の本質が横たわっているのだ〜〜と。


ところで、

兵庫県、しがみつく名誉職。人望ゼロ。我々の税金。情けない人物です。