2021年12月3日金曜日

熟考に次ぐ熟考


ある高齢者の症状が確かに落ち着いたとしましょう。しかし高齢なら自律神経、急性肺炎、心筋症などである時に急逝する場合がありますから一進一退です。ついで、延命への難しさと立ち向かわねばなりません。現実的になるととてもデリケートです。その人との関係性、歴史や寄り添い方にも寄ります。

事前に帳面に本人字書で記入させておいたとしても、鍵は「生きる意欲」なのだと思います。意欲がくみ取れるのに見捨てる事は酷でもあります。また、少し痴呆が入っている場合は辛いところです。身内が医師が示す数種の「延命提案」をこちらがすぐに判断出来る筈も無く、しかし刻々と衰弱は止まってはくれないのが時間と共に消えゆく生命の灯です。

家族は揉めていないし、ある意味おせっかいな親戚等が口だす最悪な時代も過去の物ですし、スムースに話は進む事は不幸中の幸いかもしれません。また、私の仕事が多くの職種の専門家の趣味であるために、その道の専門家(私の主治医、看護師の方、薬剤師の方など)も多くいらっしゃり、厚かましくも伺うと親切丁寧に教えて下さるのも幸せな事だと痛感しています。お稽古の方々の経験談も貴重な時間です。

例えば、ある生徒の方に施術の「何々法」について聞いたのです。延命も「痛みを伴う」か否かなどは急に方法論を突き付けられてもネットの浅い知識に終始するのみです。電車の時刻表とは意味が違います。やはり専門家は専門家であり、対策と経験の元に適切に短く教えて下さるのでした。

フェーズが上がり、いよいよになって来ましたが、人間の「生きる事」がどれほど意味があるのかというテーマは常に考えるだけに慎重かつ敏速に、です。

状況判断力とその人の尊厳について考察する日々が続きますが、元気に素敵な所で旅立たせてやりたいと思う事は間違っていないと信じています。

自分もそろそろノートを用意せねばなりませんね。