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義理母が闘病一年半の末に他界しました。日曜の夜のことです。若い頃から応援してくれた方でしたので寂しい限りです。やはり義父が他界した後は見えぬ憔悴と衰えが進行していたようで、フォローも限界と感じました。肉体的な闘病生活には素人は成すすべがありません。
こういう話が苦手な方はここまでにして下さい。
感情論はまたにして、形式と進行を自分のために記録したいので記入します。そばにいると協力、共有することがとても大事ですし、後の勉強にもなります。
まず、
他界するタイミングで可能な限り近距離にいること。携帯電話を常備していたら(奇跡のように)子供達、孫達が集まる夕飯の終わりに知らせがありました。まるで、見ていたかのよう。
臨終を医師の立ち会いでの確認。
診断書を書いてもらうまでに「葬儀社」(会員になっておきましょう)への連絡。
病院に任せると巨額のマージンが裏で動きますので、そこは是非自分で対処を。
お迎えに90分程。夜でしたから家に戻るため、先行して敷布団をひくよう。
葬儀社が来るまでには無情なまでに病室の清掃を見守ります。ただ、待たせてくれます。
病院から葬儀社のワゴンに乗せて自宅に移動。遺影の選別する作業も。
搬入された自宅で手を合わせます。葬儀社との打ち合わせも。
今回は(仏教式なので)枕経が翌朝9時に開始。その準備に座布団やら。
そこからは翌日の通夜まで時間があるので連絡とその人数の把握。(神経は張りますが、肉体は休めます)
通夜の3時時間前に「湯灌」があり、それにも立ち会いました。
来られる人への挨拶やフォロー。通夜の儀式で読経。
翌朝に葬儀。焼き場まで二往復。車に乗る人の整理と確認。
戻って初七日の儀式。挨拶。帰宅。夕食。解散。
これが日、月、火、水の流れです。
物理的に疲労します。感情的には哀しむ方を見るのも哀しいので辛いことです、
ラストには支払いがあります。
人生が何年かはそれぞれですが、そもそも「健康」寿命が最も大事な事を痛感します。また、結局、最後は皆同じです。自宅で逝くのは17%に過ぎず、ほとんどは施設や病院だそうです。
私は、タバコもアルコールもやめまして、いわゆる数値は良い状態です。血圧が引き金にならぬようにも対策をしています。元気に生き続けるには、ほどほどが快適かもしれません。
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