2019年12月20日金曜日

加齢とipadと重責と達成感



気付かないままどえらい年齢になっていたとここ数日実感している。
先日の学生の発表会、先生方への専門講習と続いて気付いた。

周りは皆さん相当若いのである。阪神大震災を知らぬらしいし。

京芸講義演習終了後の一枚。パワーが凄くて若過ぎる。

学生にとって、私は既にお父さんの年齢を越え、芸術系講習の小中の先生方は多分8割は若かったと思う。なぜ今まで気付かなかったのか。
おまけに私の授業でシニア入学されている学生の方が年齢がタメなのは良かったが、断捨離を始めていると語っていた。もう死ぬ気か?。
確かに私も実はもう楽器を購入する事は無いと思っている。引退しても弟子だった人達に任せて行けるように若手をどんどん排出せねばと感じる。他の楽器では当然の事だが。

超高齢化も自明の理。50も半ばになれば、過労か鬱か理解出来ない位に物事に億劫になる事が多い。超変速な変態な仕事柄、いわゆる「普通は」が全く充当しないし、孤独。

とにかく、目が腫れるわ、鼻血が出るわ、睡眠は浅いわ、胃が小さくなるわ、痔になるわ、トイレが近くなるわと枚挙に暇がない。
先日の京芸リコーダーの定期演奏会の日、私だけが学生の3倍は手洗いに行っていた事が相対的に分かってしまった。過活動膀胱はもうごまかせないのだ。そういえば若い頃は日本とイギリス間の飛行機で窓際に座り、トイレはせいぜい1度だったが、今はソウルでも3回は行くのかと。

第3回にもなれば楽器紹介も部員が完璧にやり遂げます。


しかし、加齢も悪い事ばかりではなく、ようやく重責でやりがいのある仕事も舞い込む事が出て来た。それには高い達成感がある。以前、東京の業界の代表的な先生に一度相談してみた40台の頃。先生は「あきやまくん、音楽家は50代からだよ〜」とおっしゃった事が理解出来るようになった気がする。確かにその道のプロとして迷い無く「何を」しているかが「確定」して来た気がする。節操が無くなる事が無くなり、尊厳をもって遂行する事に迷わないかも。同じ土俵に人も確かにいない。


加えて最近、(一側面だが)若手の優秀な演奏家が近くにいてくれるようになって来た。
可愛がってるのではなく、可愛がってもらえるようになった気がする。

私の指揮に完璧に合わせるトップを吹いた30代の元弟子には感動した次第。
特にモーツァルトの宗教作品の表現に絶対に妥協は許せないのだが、先日は私の指先に忠実に従ってくれた結果、他のメンバーもそれにつられて素晴らしい演奏をしてくれたのだった。皆がリコーダーは第2専門の楽器なのにこれは嬉しかった。
「優秀」というのはこういう事だ。素敵なプロにもうなっている。


孤独と重責で自由席


さて、ようやく19年の学校仕事も終了。年度はまだだが少しゴールが見えた。
異常に固くなった身体を信頼する整体の先生に完璧にホグして頂き、しばらく正月冬眠に入る。

何をするかというと、ペーパーレスに対応し、物欲で購入した i pad pro に資料を入れ、今後の現場の先生への指導案や実践テキストを作成するのだ。勿論その電子機器の使いこなしも研究せねばならぬ。古くて小さい i pad で kindle の i pad pro の本を見つつ、、。
真面目なこった。