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友人の超高齢な母親が大腿骨を骨折し、手術、入院からのリハビリ病院へ転院。3か月して高齢者住宅に戻れたそうです。その一連の事がのしかかったようで、最近身体と精神の調子が良くないとか。
こういう話でありがちなのは、誰がこういう「世話」をするか、という事です。
一息子としては親の子が3人なら、うまく三等分に適材適者動けば理想だと。しかし、まぁ確信的逃亡回避の多いことで、親もなぜかそれに触れませんし、結局は日本国の憲法で決められている「近くに住む者とその嫁」が高齢者の世話を努めなければならない、ので仕方なく動くとか。極刑が課されるようです。既に極刑を受けている気もします。
息子は動いてくれるお嫁さんに気をつかいます。女性ならではのホスピタリティには男性は叶いません。そもそも現役で仕事をしていますし、この時代は共働きです。加齢も重なります。また、高齢者は自分で何も出来ない割にそれほど悪気がありませんし謙虚さがあまりないようです。。お嫁さんの静かなモンクも心臓に悪くストレスがたまる一方なようです。そもそもその親は介護の経験すらないことが無いのでいけません。
何かが変な気がします。いわゆる性善説とご都合主義のバランスが合わないのです。
こういう事象で発生する「事項」というのは多く、教えてくれるのですが、いわく、マイナカード、保険証、薬手帳、診察券に始まり、
時間、介護、燃料、補助、管理、連絡、電話、待機、準備、責任、清掃、承諾、打ち合わせ、サイン、押印、、支払い、挨拶、無駄話の回転、買い物などなど。
これ、全部自分の時間を割かれます。
友人曰く、若いうちに東京や外国に出て、実家から離れ、逃げるが勝ちだとか。物理的に移動できないようにすれば非介護勝者となるそうです。なるほど。世話は出来ないが貰うものは貰うという発想は人として最下層ですが、確かに懸命なのかもしれません。
聞いていて気の毒な話ですね。精神は追いつめられるばかり。周りが能天気に思えるのだとか。
もっとも、世話をしない後悔を一生背負うよりは、そこそこしておいた方が一切の引け目が無いよ、と伝えました。能天気な綺麗事を言う無責任な他人の助言は無視。そして、確か、因果応報という言葉がありますよね。
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