♪
昨日、義理母の入所する施設に付き添い、そこには遠方からの幼馴染さんが二人来られる旨で私も同席した。実に80年前の同級生との事。
歴史が語るように、最後は「友達」なのだと。確かに、実の子供等は訪問すら逃げているという話が周りに多すぎる。そのだいたいは「忙しい」という理由でほぼ嘘。忙しければ、親を無視するとう民度がそもそも引くし、低い。こちらも忙しい。
そもそもオムツを替えてもらって育ててもらった恩義が無いのは人間以下と評して良い。現実はそれだけ「愛」は友人にある。断定しておきます。
そこで、面会室に出向くも(不運にも)車椅子の入所者とボランティアにより何らの大会が、大音量で行われていたので、こちらの「耳」がしんどい上、こちらの皆さんも耳に少し難があるため結局、義母の通訳をしなければならなかった。しかもマスク。
訪問者の方々は紳士であり、私の演奏会に義母を連れて来て下さったりという愛情深い方々で、それだけ義母の人格を物語るものであり、その現場はとても「優しい」ものだと思う。
さて、その1時間に吸い取られたこちらのパワーは凄まじく、疲労困憊。その後の妻の仕事の運転手をしましたが、終止二人は無言。横で爆睡、往復2時間。こうなる現実を見すぎている気もする。
これに「名前」が無いものか。
「高齢者支援気疲れが途方も無い症候群」、「なぜ我々夫婦だけがこんな目に補助金月31万」もお願いしたい財務省、厚労省、総務省殿。
「愛」にも体力の限界がある。不平等も問題。
最近、東京の友人の母が亡くなられたのだが、その父は、「お前たち(息子二人)、そしてお嫁さんに迷惑がかかるから、私はホームに入るぞ」と、さっさと景色の美しい場所に移ったそうで、やはり頭の良い人物は違う、とうなだれている。クレバーな父親。その息子のお嫁さんが一番幸せ。
子供が親の面倒を見ない世界なのだから少子化は進む。あとは昭和の教育が悪い。「才能」が無い人間は才能のある人にかなわないから勉強をする。勉強が出来るバカが偉くなり、今がある。このていたらくだ。実際、学校で習った英語は海外ではほぼ通用しない。
空海では無いが「愛」を解かないからこうなる。てか、こっちがもう還暦ですわ。
♪