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世界トップの銀行で貸金庫泥棒行員が存在するような組織への信頼が完全に崩れた。しかし、貸金庫を解約するのは短絡だ。これから厳重になると考察しそのまま使用することにした。
この国の組織はもうどこも信頼出来ないし、教育の現場にも既に終わりが見えていると思い、長い勤務歴など何ら全く役に立たぬ「大阪の私学」を今年度で辞職することにした。テレビでは小中学の教育現場は報道されるが、大学の悲惨な事情はほとんど知られていない。これにも偏った報道が見える。ひと昔の権威のようなものは既に相当落ちぶれている。
限界や〜 |
とにかく理解不能、機能不全、未来絶望の時間に耐えに耐えて、忍に忍んだものの、精神が崩壊する前に去るのが賢明という判断。引き止められないように加齢疲労と病気とした。私は教員のプロでは無い、演奏家なのだ。存外あっさり辞めさせてくれるのはありがたいし実に簡単だった。そもそも誰でも良いのだ。この時代に出世はもう古いし、私は多岐にわたる国公立の複数な優秀な大学で広く教える方が合っているし好きだ。汚れたどぶ池より綺麗な大海が良い。
しかし、音楽大学に於ける学者共の音楽現場への不理解は想像を絶するくらい貧相で結局はこちらが無力化された気がする。学者が偉いというバイアスが己にかかっていて、いかにそれが相当哀れな考えかが理解出来ていない。「人間としての成長」に著しく欠けている先生方が多いのは学生の評判で理解可能であり興味深い。えてしてそういう人物は立場だけが上がり無能が多い。裏では学生に呼び捨てられているのも知らずに、だ。
何事も、せめて辞めさせられる前に自ら辞める方が未来的に自分に傷もつかないだろう。なかんずく悪いことはしていないわけで尚更である。実に35年を過ごしたが、とにかく超劣悪。セクハラ以外はて経全て経験した。そんな中、続けてきた自分を大いに褒めてあげたい。私学全有時代の恐怖にそぐわない自分がいる。絶対に良い方向に誤解されてる勧められない大学。同じ授業担当者の内、近々で二人が癌で亡くなったなど恐怖にすぎない。次は私だったはずだ。
せめて挨拶くらいすれば? |
来年度からは相当健全に健康に己の人生が過ごせそうで、とにかく負の連鎖は断ち切るべし、未来は創造すべし、という人生観に揺るぎは無い。私の心は相当晴れ晴れしている。嬉し過ぎるし、何より家族の理解も嬉しい。それだけ側でダメージを見ていてくれたという事だ。そういえば京芸の学生達が拍手をくれた。苦しむ私に開放への温かい気持ちだった。
ところで、来年度から歴史ある有名大学から講師依頼あり、実に60で就職予定。夢がある。これは面白い人生。それに、コロナで飛んだある県の研修講師としても声がかかった。
捨てる神あれば救って下さる神がおわせられる。京都市の私のセカンド住居は歴史ある神社の横で、そこによく参ると最近結構ご利益がある、と思える方向性は素敵だと思える思考だと思いませんか。
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