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帰国日は15時の便なため、ゆったりと起床するつもりがパッチリ目が覚めたら9時だ!
と思ったら、なんと7時半。
脳が鮮明で何となくもう眠れないので、正午のチェックアウトまでコーズウェイベイ周辺の
散策に行くことにした。
MTRでひと駅。
当然だが早朝過ぎてどこも開店していないわけで、それでもガイドブックにある地元で
人気のお粥屋にて朝食をとった。
粥は病人の食べるもの、という未熟な先入観で今まで生きてきたため、少なからず抵抗があったが、加齢というのは残酷なもので、なかなか食せるものなのだと知った次第。
しかしだ、主観だが、即ちコメ自体が美味しくないのでクタクタにして、何かで味を付けている結果の先人が行き着いたメニューなのではないかと。
白米と何か、が日本なら、こちらは白米に何かを乗せて混ぜて食べているのを見かける。
日本のコメは、それ自体のクオリティが高いので根本が異なるように思ったのだが、
いかがだろうか。それだけにラーメンやビーフンが出来上がったのかもとも思ったり。
程なく湾仔駅に戻り、パシフィック・コーヒーでエスプレッソを飲んでホテルに戻る。
この時点で10時なのでまだ余裕がある。
私は早々に荷造りし、起床時間がもたらした反比例する気だるさをうたた寝でしばらくを過ごした。
正午少し前にアウトしてタクシーで香港駅に行き、シティチェックインを済ませ、簡単な荷物だけで
香港エアポートエクスプレスに乗り込む。快適に空港へ移動。
ホームと列車の間が完全にガラス張りになっており、ドアが列車とホームとで連動しているため
人身事故が起こりにくい辺は日本以上に信頼が出来る。
空港に到着し、早速オクトパスカードをキャッシュバックしてもらう。これでも1500円程にはなるので、それを空港でのランチに充てるのだ。
空港は来るたびに充実してくる。世界で3本の指に入る快適な施設だけに、食にも困らないので、少し高級な飲茶を戴いた。それでも胃もたれを発症したので満身創痍なのだろう。
よく頑張りました。
荷物検査とイミグレーションを経て、免税店やショップをうろつくものの、総じて高額。
ましてや、減税の円の相場では購買欲も薄れて幸いだった。
長いエスカレートを延々進み、全日空の機体が並ぶ34番ゲートに向かった。
横は羽田や成田に後ろは名古屋便である。
この空港の搭乗の際はゲートに一旦並ばせて、再チェックを行うという特徴がある。
1回目のチェックインから数えて一体何回目かと思うが、逆に万全なのだろう。
インドネシアも搭乗前にもう一度の荷物チエックまでがあったりするのはお国柄。
時代の変化が激しいこの小さな中国行政区域である香港は来るたびに異なるが、
実は中国本土からの団体客の襲来で、実は潤いながらも困っていると聞いた。
事実、空港のベンチのそこかしこに食べ残しやペットボトルの遺棄が目立った。
昔は香港自体が不清潔で、行政が努力し、そこかしこにゴミ箱を設置し始めたのに、
確かに異様な風景であった。
さて、フライトは満員。会社人の会社のお金での帰省もあるのだろう。
LCCが台頭してもこれなら住み分けが効くわけだろう。
不思議な魅力を放つ私の横はお子ちゃまで、早速ピーナッツの袋をぶちまけてはる。
そして動いて動いてエネルギーを発散してはります。
さて、今回の香港訪問は以前に台湾の欧州帰国組のヘンリー・ホーさんと、
大阪訪問の際にお声掛けを戴いたヨセフ・リーさん一家の提案によるものだった。
彼らのル・アート・ディ・ヴォワというグループの演奏会への特別出演を依頼された、
というわけである。
以前の訪台とは少しスタンスが違い、主体となったわけではなかったが、
ものすごい拍手を頂き、非常に意義深い仕事になった。
相対的に非常にスマートで、不確定要素が少ないのは幸いであった。
場当たりな人間は不得意なので心地よい。多分頭が良い。
勿論最終的にはパーソナルであろうが、自国や他国でこれが通常かと思わせられた
「時間の変更と遅刻」の連続と、「予期せぬ会合」などは全く無く、即ち心的ストレスが
少なくて良いということで、結構。いちいち打ち上げなどしないのも好きである。
逆に割り切りも凄いが、果たしてその方が束縛が少なくて快適なのであると思う。
リコーダー自体は認知度もまだかなり低く、台湾に一日の長があるのは明白。
故に、ヘンリーさんと台北でのセミナーで出会ったわけである。
街の都会度と食は明らかに抜群の国際都市であるが、物価は日本並に高額でもある。
英語はある年齢からは完全に通じ、特に若者の語学習得率は日本の比ではない。
その中には日本語を話す人も多く、例えば、何気ないチェーン店で食事をしても
「どうじょ」と日本語にトライしてくれる。これが非常多かった事は興味深い。
親日感も十分に感じる。
ギスギスした政治レベルの低い紛争とは無縁に思う。
官民政令の象徴。
一連の時間の流れで人の多さと空気の悪さ以外は魅力的だと思う。
今回で7回目となるが、1回目は英国への再渡英で立ち寄った時なので、
既に25年以上前になり、前回は2年前。
乗り換えのみを入れると10回程になろうか。
発展著しく、リコーダーは今からスタートする感じであった。
飛行機は1035㌔で高度は37000フィート(11277メートル)を順調に関西空港に
向けて満席で飛行中である。
早くお風呂に浸かりたいとひたすら思っている機内にて記載しました。
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これで、2013年の一年の近隣三カ国の海外修行とデビューに一区切りはついた。
あまり気張ると過労に過ぎるので体調がついて行かない。過剰な売り子は嫌われ、
言葉は必須。
AKPの広報活動も兼ねていたので、実は日本以上に知られた事でしょう。
実際に広報を行える機会が逆に自国には無いのは大いに不思議な現象。
今に逆輸入されたりすれば、それはそれで面白い。
日本での活動はどうも自分の感覚と一般愛好家に大きな隔たりを感じざるえないので、
現時点での絶望的な日本での活動に何とか未来を見出すものの、そう簡単には行かないのも
悔しいのは正直なところだが、とにかく先に進み、近未来を見据える事に間違いは
無いと信じたい。
私は極めてミーハーではないのは馬鹿でなければお分かりだろうが、少なくとも
現状維持では未来は無い。特に関西では非常にアカデミックに欠くのは事実。
3月の台湾は台中のレッスンとコンサートは決定しているので、もうしばらくは
踏ん張りが必要なようだ。
いつも言うが、日本以上に、これほどに諸外国の向学心には脱帽である、
私は外国人気質なのかもしれない。
しかし、若い世代が徹底してお弟子として私の元にお稽古を希望するから、
それほど間違った事はしていないのかと思うことをモチベーションにしている。
明日も明後日もレッスンで仕事収めは実に30日である。
頑張りまぷ。
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