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上岡龍太郎さんが亡くなられました。昔からこの方の「日本語」の使い方や言い回し等、深く尊敬している方だったのでとても残念です。上岡さんらしく、一切の儀式は無かったようです。
現代では、幸い「YouTube」で昔の映像が観れますので、未だに何度も見るのですが、それは「教養」の笑いの頂点であったと思います。決して偉ぶらず、多くの美しい日本語を口にされていました。論法も関西だからこそのもの。これほど言葉を巧みに操る芸は他に類をみません。
とても哀しく思います。
私の「日本語」にはそれなりの歴史があります。
幼少期に2年カナダに在住したために、完全に日本語を忘れ英語脳。当時は帰国子女の走りで、日本に復学したら軽いいじめにあったもんです。
定型で固まった日本の学校に馴染めず、当時の「登校拒否」をしたものでした。「個」を尊重しない軍国的な教育は高校までに至りました。全員疑問に持たない事が疑問だと思っていました。要は、自分の才能を伸ばす事は反抗と捉えられた時代です。全体主義は言い過ぎですが、友人も出来ませんでした。だからこそ音楽に従事しているのでしょう。
苦しんでいた帰国時期、昔教員であった祖母が毎日の漢字テストの予習として毎日毎夜「国語」教えてくれたのです。それでどんどん日本語がわかるようになって来ました。想えば、明治生まれの祖母は名教師だったと思います。
その後、上岡さんと鶴瓶さんが台本無しで喋るだけの「パペポ」なる番組が放映されます。大学時代それを食い入るように見ていました。関西の誇る「トークの頂点」だった番組です。ビデオにも撮っていました。
また、その後、英国に留学し、寂しさから日本語の本を読みあさりました。帰国してすぐに大学教員になり、多くの人の前で喋る、という業務が増えることになります。残念ながら最近の若者には駆使する用語のそれもほぼ無意味に思えるようになり、いよいよ私の時代も終わりに来ていると思います。言葉あそびに反応してもらえなくなりつつあるのです。
学生時代から、面白いと思う漫才や新喜劇を熱心に勉強したものです。「話芸」とは何か。不思議と「落語」ではありませんでした。恐らく丁々発止の「掛け合い」に興味があったかと思います。
未だに自分の教養に低さに毎日愕然としますが、話芸一代、上岡龍太郎さんの動画はまだまだ学ぶものが多くあります。以下が書き留めていた文言です。
人を呪わば穴二つ
芸は道によって賢し
獅子奮迅
山高きが故に尊とからず
読書百遍意自ら通ず
和して同じず
我がものと、思えば軽し、笠の雪
少年老い易く、学なり難し
李下の冠、瓜田の覆
彼がテレビ番組で何気なく話した言葉の数々の一部です。
美しい日本語をありがとうございました。次の人を残して頂きたかったと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
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