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ものの解釈によれば、それは「我が我が」という次元の低い思考になるかもしれませんが、
最近、貴重な経験をしましたので記載します。
この日、月、火、木、金、土、と、トータル6時間に及び、隣国からレッスンを受講されに
来日された愛好家のひとりの女性がおります。
今まで、私の通訳やフォローを自ら努めて下さったり、誰もが認めるお人柄。人格者です。
お国柄などはいかに関係がないか、がよく理解出来るほどで、時間、約束、用意なども完全。
さて、お伝えしたいのはこちら側のハナシ。
6日間のほぼ連続のレッスンなど、したことがありませんし、効果があるのかは、甚だ疑問に
思っていました。ましてや来日されるなど恐縮です。
果たしてこちらの実力不足では哀しい結果になり、現実を直視するに至ります。
実際に行ってみると様々な発見がありました。
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例えばですが、とりあえずはその方の実力が一日目に理解出来ます。
しかし、短時間では修正不能。また、極度の恐縮感が双方に生まれます。
要は緊張度数が高いわけで、実力が互いに発揮出来ないわけです。
二日目に少しですが、慣れます。
その方はほぼ完璧な日本語、また漢字、そして英語を理解されますので、
耳的にも一日前よりは流暢になります。
ここで、その方の演奏の実力が、ほぼ理解出来て来ます。
三日目。
少しリラックスしてのコミュにケーションが可能になり。普通に接する感覚で方法論の説明が
可能な状態になります。
故にこの辺りから白い紙に基礎の基礎の説明を始めます。
楽曲を、こう吹きなさい、や、ここはこう、などはその方の潜在能力を引き出すものではありませんし、本来のレッスン事業とは感じません。そこは私の師匠、天才的なフィリップの凄さでありましたが、私の潜在能力を引き出してくれた「彼式?」を踏襲し、お教えしていきます。
たまたま、と申しますか、お相手は「こういう事」を学びたかった、との事で、思惑が一致しました。
面白いのは、確実に伝えるために用紙に記載する際、ひらがな、漢字、英語と楽語というカオス。
喋りも芸能人のルー大柴のようにミックスになすのは興味深いところです。
エモーショナルな言葉はかえって英語の方が楽なのもわかります。
四日目になると、ようやく「普通」という時空と「ルーティーン」がわかってきます。
まず一時間ほど練習をされ、始めに楽曲をみて、形式や様式の説明を行い、
残りは徹底した基礎能力の向上を行います。
いわく、スケールの変形や身体の動きなど。
五日も経つと、「音」が確実に変化します。
全般に良い意味でのマンネリズム、しかし、取り組むための脳の緊張と身体のリラックスに加え、楽器が共鳴を始めます。
それを実感されると、感情の中で悦びを享受出来るようになるのだと思います。
そして六日目。 今からです。
全体的に(主観ですが)通常にレッスン事業で行われている実態は、教える側の楽曲説明に終始している様、に思います。若い先生なら(実力には関係なく)経験値が足りず、老体は主観が強い傾向。事実、お持ちの実力は、ほぼ発揮出来ていなかったのだろうと思うほど、吹けるようになって来られました。同時にこちらの引き出しも、そこそこはあるのかな、と安堵した次第。
勿論、善し悪しや好みは種々様々ですから、全体の住み分けがうまくいっている結果になっていますが、果たして、個々の能力を引き出す方法論をお持ちの先生側というのは実態に疑問を持ちました。アジアに於いて、ですが。真似と消費は上手いものの、まだまだ主体的に過ぎます。
欧州の場合は歴史的にも成熟していますし、問題もそれほど感じませんが、ことアジア諸国の場合は、まだ上記の傾向にあるような気が、色々な演奏を拝聴して感じている次第。
聴音能力、和声学、楽語、レッスン体験、合奏体験、通奏低音法などの音楽学部での経験を全体的に伝えなければ、少なくとも十分な仕事とは言えないでしょう。
それに加え、教える側がどれだけ自分を出さず、相手を幸せにするか~という思考です。
衰退産業にならぬよう、プロお弟子の育成と近隣諸国の欧州帰りの若者の成熟を待ちたいと思います。
但し、
一番楽しいのは、ちゃんと習わないで好き勝手に吹いておくことしょう。間違いありません。
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