2024年6月6日木曜日

絶不調

 ♪


先般、ヘンデルを命懸けで演奏した〜というか、こん詰め過ぎたのか、他の仕事と並行したのもあり、演奏会直後から「喘息」らしき咳が出始め、アレルギーか、はたまた予防注射の弊害かで鼻の奥で滝が流れる始末で、60歳、というか、本年は絶不調のようです。手首をグネったりも。笛吹きとして危うい状態になりました。不思議と仕事中は咳は止まりますが、如何せんメンタル・ヘルスが問題です。いい歳して懸命に働くことがカッコ悪いと日々思いますし。


抗えぬ加齢による「治り」の遅さを見に染みて感じます。周りも介護で疲弊しまくる話ばかり。機嫌が非常に悪い同世代ばかり。高齢者は金と薬の話ばかり。若者は貧乏自慢。政治家と権力者は頭がお花畑、京都の道はゴミだらけ。低身長の輩が刺青だらけ。物は値上がりだらけ。楽しいのは私の教授を受けて下さる方々のお稽古と投資くらいですかね。両方増えていますから。



これであと20年、とかは、何となく無理な気がして、また、人に迷惑をかけないように、と先代からの日本人らしき伝えを意識し、ようやく現実的に公的「遺言信託」に取り掛かりました。

これが、まぁ〜アナログでして兵庫県芦屋市の市役所まで出向いて、紙の戸籍何やらを取ります。現金を持たない私の心配はさすが芦屋市。この市役所では問題なしのキャッシュレス。

何だかチグハグな事が多い世の中です。

因みに、国が資産形成を個人でやれ、というのが恐ろしい程理解出来ました。(国民)年金、、今まで払って来て、、私の世代は皆さんのご想像?の5分の1程です。20年後には「飢え死に」、「路上生活」多発の国になるでしょう。しかも、数年後の人は減額されます。とても恐ろしい事です。


珍しい授業中のショット(遺影の予定)



さて、「司法」に「感情」は一切「無効」という残酷さも複数の弁護士から学びました。世知辛い事ですが、それが現実。

例えば、楽譜と楽書は私の認めた弟子に「文庫」として残します。毎年の書き換えもあるようです。詳細は書けませんが、少なくとも分散させません。最後は寄付ですね。


どうやら公的に有効な完全なカタログを作るようです。


そういう意味では「余命宣告」があるのもある意味悪くは無いのかも知れないと思います。安心してこの世を去るのはもう「美学」の域。坂本龍一さんが若くして先日亡くなりましたし。

私は墓は持ちませんし、先祖のところには入りません。一切異なる世界で頑張りました。愛したペット骨を少し混入させて、おそらく真言宗の壮大な寺に入ります。楽しそうです。





何より、「命」より大事なものは「健康」と「人柄」ですか。