2024年6月20日木曜日

富士山

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都合、相模湖は藤野芸術の家に出かける際に、河口湖に立ち寄ったのだが外国人だらけ。

今年は訪日外国人が既に230万人を超えたそうで、どこかは儲かっている筈なのだが、国公立大学の手当は5年前と同じだし、関西に比べると相対的に物価も高い。ビジネスホテルにも日本人はほぼいない。




さて、我々からすると、アホぅか?と思う事象の場所を通りがかったので、記念に記入しておく。コンビニと富士山が映えるいうローソンのといめんの歩道だ。黒い膜がひどく異様に思えて気分が悪い上、警備員がいるではないか。ローソンに頼んで建屋の屋根に設置すべきでしょう。事情があるにせよ行政は頭が悪いと思う。結局は柵の前で撮影しているので車で轢きそうで、考えれば分かりそうなもんだが。


日本一、異様な歩道


そもそもで言うと、我々西日本の人間は富士山がそう騒ぐ程のものでは無いと感じている。とても不自然で美しい山がそこにあるだけで、それを見るからどうの、とかはどうでも良いのだ。我が国民は象徴を好む傾向にあるのは歴史にみえる。皆が良いと言うから良いと言う思考が独特だ。


故に、あんたらがわざわざ外国から何をしに来ているのかと思い、違和感も凄い。近くに同じ環境のセブンイレブンがあったが、ローソン(三菱とKDDI系)が日本だけなのが重要なのかもしれない。


まぁ、違和感があるからこそ思い出にもなるのだけれど、どうも理解出は来ないし、あまりも外国人が多いのも今の日本の現実だと思う。要は安い国と成り果てた。

日本人が英語に四苦八苦していて馬鹿にされる事が気に食わぬ。ありがとござます、と言うが、そこは「サンキュー」で良いだろう。



一方で富士五湖は車で水辺に降りれるので楽しい。ランチにソロキャンプも可能で快適。こういう環境は羨ましい。関西は琵琶湖が大き過ぎるし、東条湖もダムであり不可能。


精進湖


しかし、どこにいてもホームセンターに百均にコンビニがあり、困らないのはさすが日本だ。


2024年6月16日日曜日

受難

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リサイタルの二日後から解放され、DIYに熱中再開したらば、右「手首」をいわしてしまった。

不幸中の幸いでは、リコーダーに於ける右手の役割に親指が関係無いということ。


去年品薄だったアクエリアス炭酸


明日は何が起こるかわからない中、これが故に生活が大変である。

右利きに於いて、例えば、風呂桶で湯をすくう事が出来ない。ボロい家のドアノブが回せない。蛇口がひねれない。ペットボトルの蓋が開けられないなどなど、、、もう介護が必要なのだ。



人に迷惑をかけないように教わった世代なので(幸い、亡き父が左利きだったせいか)左を使って乗り切る毎日なのだが、今年は色々と災いが多い気がする。私も余命40年位だからフィジカルに自分を大切にしようと思う。余談だが、サッカーは左足ユーザー少年だった。



鬼が笑いそうだし、少し気分転換が必要かもしれないので仕事をサボり遊ぶことを考察する。




2024年6月14日金曜日

厚労省の功労

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義理母が倒れ、妻が奔走している。音楽家であり教師でもあり大変な毎日であり、ましてや謎の娘ルールが確実存在することを側面から感じる、なるほど女性の事はセンシティブなので男性には非常に難しいかもしれない。母も幸せな事である。


①倒れたのを発見し、救急病院に搬送され入院。数週で血管が少し丈夫になったらば、

②リハビリテーション病院へ転院し、毎日リハビリを行う。それも数ヶ月で強制退院となり、


③老健(介護老人保健施設)に転院。ここから予約無しでは面会も不可能となる。

④次は特養(特別養護老人ホーム)を探さねばならない、そうだ。



さて、日本では自宅で死亡するのは13%に過ぎず、66%が病院、施設だそうである。

記入しながら、私などは死ぬために生きているのなんて下らないので、さほど考察していない。と、言いつつ、側面を見ながら学習をしているので、判断を自分で下せる自信がある。




人に迷惑をかけるな、と教えていた世代にそのまま言い返したい気持ちが湧く、と言うのが、我々の周りの世代の共通観点なのは確かであり、ゆえに機嫌の悪い国での疲弊感が漂う。今まで聞いたことがないような事件が毎日起きている事は、それが故であろうか。


さて、上記③だが、少し考えてみた。(ここから着替えも差し入れも出来なくなった。)


要は大抵は「能力の低い」子供は面倒を回避する理由に卓越し、「才能のある近い者」に仕事が回ってくるのが世の常であり、これを「厚労省」が、実は、「面会に制約多し」として、近親者の負担と不均等を是正してくれているのではないか、と言う点。

(皆に共通する「忙しい」を理由にするのは相当な馬鹿であり何ら理由にならないのは自明の理。)


もし、そうであるならかなり人間的な政府だと考えられる。


病院や施設に留まらず、「なぜ、私だけが面倒を見なければならないのか」なる一点で揉める現場を国も多く見ているはずだ。内に溜まるストレスがたまに発散される時は、当事者の被害者意識が具現化する筈だからだ。

楽しく生きるのは良いが、人に迷惑をかけないように生きる事についても考察するべきであり、何より子の不均等を是正する民法、司法にも抜本的に見直す時期が既に来ている。


私は、桂ざこばさんよろしく「喘息」で召されそうで、着々と「遺言信託」を進めている。現代では多くの高齢者施設が整備されており、祖父母を診た時代に比べ、隔世の感がある。



2024年6月12日水曜日

誰やねん

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今日、ある駅の近くの交差点付近で、エラく早く歩く杖を突いた老人男性がこちらに向かって来る。ある種の病気かと思いつつも何となく見ていたら私の前で見事に転倒し、周りは騒然となった。

私から見れば10秒違えばそのような目には合わなかったろう。



老人介護みたいな経験があるので、まずは声をかけ、痛みを確認してから、身体には触らず、ズボンのベルトを掴んで立たせた。老人は礼を言うのがせいぜいだったが、とにかく気をつけて下さいね、と言ったらば、ゆったりと普通の速度で歩いて去ってゆく。

安心してその場を離れようとしたら、その妻らしき女性が私に礼を言うも、憤懣遣る方無い機嫌の悪さもよく伝わって来る。

「急いで歩くなと言ったんですけどね〜」、

「奥様ですか?まぁお怪我が無くて良かったです」




要は我々には影響のない交差点の傾斜で(間寛平の老人芸よろしく)速度が出てしまい、止まらなくなり、たまたま私の前で転倒したようだった。もし、車に轢かれていたら、轢いた方が気の毒だと思うのは暴論だろうか。

いかんせん、どうやら私は神的な重力を持ち合わせているようで、荒人神に近づいたようだ。



その事件を終始見ていたであろう、といめんの商店の人が

「何だかありがとうなっ」


殺伐とした超高齢化社会の側面に、フォローをする私を見て少し良い風景に思えたのだろう。


で、



誰やねん



2024年6月8日土曜日

 


様々な発達障害に名前がついていて、ある「違和感」からそれなりに調べてみると、なるほど、こちらが認知しなければならない障害が最近結構多発している事を学びました。ですので、違和感を持つと病気なのかと存外飲み込めると思います。




聞こえているのに聞き取れない症状を聴覚情報処理障害

 APD (Auditory Processing Disorder)


聞き取り困難

 LiD (Listening Difficultie)



自分の事をひたすら喋り続ける人、や、返事が適当過ぎる人の場合に対応するようにしましょう、との事です。


2024年6月7日金曜日

免許更新

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運転免許更新をしなければならなくて、何だかやるせなく仕方なく更新センターに行ってきた。権力とはそういう物なのだ。免除する、運転しない事を、という謎の名前だが、午後2時前後は非常に空いている事は経験でわかっている。

非常に業務的なのは結構なのだが、関西だからか、非常に早口で聞き取れない。未だにアクリル板のような透明シートを介してやり取りするので「はっ?」の繰り返し。しかも現金。




数年前に父の危篤時に速度超過違反をして行政罰を受け、罰金11万をコロナで失業中に払って、忘れえぬ思い出となり、尚かつ朝9時から16時半に至る懲罰講習を受け、試験まで受講させられた屈辱は苦い思い出である。まぁ駆けつけた所で無駄。


そこに来て、この更新でも2時間!の講習を受けさせられ、講習料を取られる始末。しかも有効は3年だと。。死人に水をかけてくる辺りが嫌いだ。しかも、小慣れた感じの(多分、天下り)おじさんのトークは変な癖が強くて個性的。かつ、緊張感が足りない。しかも、見させられたビデオも前と同じだった事にも驚いた。要は安全運転せよ、ということ。





この時代錯誤なシステムで交通事故が激減しているようなので、正義なのだろう。

普段は教壇に立つ方なので、こ慣れないようにしようと思った。


都会なのか、受講生は基本的に非常に静かで真面目なのも日本人の我慢強い側面を見たようで、反面、警察の権力と司法には抗えぬ恐怖とも取ることが出来た。居眠りの若者が怒られている風景など地獄。寝る度胸も凄いが、いなし方の方法論もあるだろう。


多額の税金を支払って車を所有し、免許更新に謎のお金を取られ、運転する事は、誠に大変な事柄なので、乗せて貰う人は運転手に敬意を払いましょう。


結論として、全体を通して「余人をもって代え難い」才能に恵まれた己を幸せだと感じた。




2024年6月6日木曜日

絶不調

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先般、ヘンデルを命懸けで演奏した〜というか、こん詰め過ぎたのか、他の仕事と並行したのもあり、演奏会直後から「喘息」らしき咳が出始め、アレルギーか、はたまた予防注射の弊害かで鼻の奥で滝が流れる始末で、60歳、というか、本年は絶不調のようです。手首をグネったりも。笛吹きとして危うい状態になりました。不思議と仕事中は咳は止まりますが、如何せんメンタル・ヘルスが問題です。いい歳して懸命に働くことがカッコ悪いと日々思いますし。


抗えぬ加齢による「治り」の遅さを見に染みて感じます。周りも介護で疲弊しまくる話ばかり。機嫌が非常に悪い同世代ばかり。高齢者は金と薬の話ばかり。若者は貧乏自慢。政治家と権力者は頭がお花畑、京都の道はゴミだらけ。低身長の輩が刺青だらけ。物は値上がりだらけ。楽しいのは私の教授を受けて下さる方々のお稽古と投資くらいですかね。両方増えていますから。



これであと20年、とかは、何となく無理な気がして、また、人に迷惑をかけないように、と先代からの日本人らしき伝えを意識し、ようやく現実的に公的「遺言信託」に取り掛かりました。

これが、まぁ〜アナログでして兵庫県芦屋市の市役所まで出向いて、紙の戸籍何やらを取ります。現金を持たない私の心配はさすが芦屋市。この市役所では問題なしのキャッシュレス。

何だかチグハグな事が多い世の中です。

因みに、国が資産形成を個人でやれ、というのが恐ろしい程理解出来ました。(国民)年金、、今まで払って来て、、私の世代は皆さんのご想像?の5分の1程です。20年後には「飢え死に」、「路上生活」多発の国になるでしょう。しかも、数年後の人は減額されます。とても恐ろしい事です。


珍しい授業中のショット(遺影の予定)



さて、「司法」に「感情」は一切「無効」という残酷さも複数の弁護士から学びました。世知辛い事ですが、それが現実。

例えば、楽譜と楽書は私の認めた弟子に「文庫」として残します。毎年の書き換えもあるようです。詳細は書けませんが、少なくとも分散させません。最後は寄付ですね。


どうやら公的に有効な完全なカタログを作るようです。


そういう意味では「余命宣告」があるのもある意味悪くは無いのかも知れないと思います。安心してこの世を去るのはもう「美学」の域。坂本龍一さんが若くして先日亡くなりましたし。

私は墓は持ちませんし、先祖のところには入りません。一切異なる世界で頑張りました。愛したペット骨を少し混入させて、おそらく真言宗の壮大な寺に入ります。楽しそうです。





何より、「命」より大事なものは「健康」と「人柄」ですか。