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30数年に辺り、授業をしてきた京芸の京都の西の端にある「沓掛:くつかけ」での授業が完全に終了しました。今後は京都駅に非常に近い「崇仁地区」の駅前校舎に移ります。
私などにも微々たる歴史がありまして、着任した頃は自分ではおよそ入学出来なかった日本、関西でのトップクラスの大学に勤務する等は夢にも思いませんでした。ゆえに物凄い緊張を伴い通勤し始めました。現在でも頭脳は彼らに劣ります。経験だけでは勝りますが、専門家などはそういうものでしょうか。
自宅からマイカーで2時間の地道で京芸頭に切り替えるというルーティンを30余年続けて来たという事です。しかも現在の学生などは生まれてもいなかった頃からです。
孤独なのは、だからどうした、でっ何、という一才の上記の歴史がどうでも良い扱いになる事ですね。確かに、誰がどうしてそんなわたしに何を言うのも変なハナシです。意識の違いもわかるまいです。
専門講義室 |
感傷に浸る事も無く、驚くほどあっさりした若者を見送るのみでした。
て、事で、ボロい校舎と授業をした部屋を紹介しました。
リコーダーの授業を、およそ25名で30年として750名。
バロックの実習授業は隔年開講で、およそ20名を15年計算として300名ですね。
「教え子」と言えば不適切ならごめんなさい。ここでおよぞ1000名に教授したわけです。
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