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豊岡市の訪問コンサートも終盤。複数日で4校程を周り、およそ600人に音楽を届けて来ました。良い意味で純朴な感じの児童や一緒に真剣に聴いて下さる先生方を相手に演奏をしてると「やり甲斐」が非常にあります。間違いなく大喜びしてくれるのです。
大げさに言えば、幸せをお届け出来ているのかもしれません。
一方、私にはえらい不幸が襲いました。
素敵な余韻に浸って帰路の途中の踏み切りを渡った直後にパトカーが追いかけて来て強制停止。あの「威嚇体制」は例えば、中国人民解放軍が人民を攻撃した昔の事件のよう。
そもそも踏み切りでは停止しますよ。
若い制服の兄ちゃんが丁寧に「踏み切りで止まりましたか?」「もちろん」「私にはそう見えなかったけどなぁ〜」「はぁ?」、、、
さすが、権力。自分が正しいのだ感。威圧。
こんな若造との見解の相違で議論するのも時間の無駄。
取り締まりのための取り締まりをして点数を稼ぐ兵庫県警に楯突くにも嫌。
踏み切りを突っ切った車などならまだしもですね。小さい。平和で暇なのは良い事。
「ならば君の思う通りにしなさい、さっさと事を進めなさい、互いに時間の無駄でしょ」
と、徹底して逆に屈服して来ました。2点減点に9千円らしいです。嬉しい事でしょう。ノルマがあるようですから。
面白いものでこちらに説教をしたかったようですので論点を変えて、パトカーに燃費が悪い車を多く使う意味等を喋り続けてきました。で、
興味深いのは、結局、何が悪いのかの説明を果たしていない点です。証拠も無し。
私は停止している概念ですから反省がありません。踏み切り前には停止します。
事なかれ主義では互いに気が合ったとも言えますが、まぁ「人を幸せにする」仕事をしていない事は非常に気の毒だと感じました。まだ若いのに制服着用して田舎の単線の踏み切りを見張り、絶対主義を一市民に主張するなんて他の人生もあったろうに気の毒な事です。正義とはほど遠い事です。自衛隊はまだしも彼らは命がけの仕事もしませんしね。
私は今、子供達に幸せを届けて来た帰りですよ〜、と伝えて来ましたが権力側の若造には意味が理解出来たのでしょうか?
最後に「すみませんでした〜」と言われたのですが、どういうこと?
その後に寄った紅葉の素敵な場所で、暇で幸せそうな警官を捕まえて踏み切りでの原則を問うてみました。
タイヤが止まれば(左右の確認を怠っても)可、だそうですよ。
人を幸せにする、幸せだと感じて頂ける仕事をしていて良かったとつくづく感じた次第。
権力を持つと人は変わりますし尊敬は失うのでしょう。どの世界もそのようです。
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