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高齢者が犬を飼っていました。(これに反対する人の薄い経験を一蹴する話です。)
その愛犬は毎週月曜に学校に行きます。いわゆるお迎えのある犬の幼稚園です。
飼い主は高齢者ですから、幼稚園側からの連絡先に「実娘」の電話番号も登録されています。
その日、「お迎えに伺っているのですが、インターフォンを押しても反応がありません」、と娘に電話がありました。犬の名前を叫んくれても反応が無いそうです。普段は嬉しくてキャンキャン鳴くのに、です。
もしかしてトイレかな、少し散歩かな、と思いつつ、娘は30分の道のりを実家まで車で走ったのです。
発見したのは畳に倒れた高齢の母でした。
結果は「脳内出血」で、すわ119番、その様子からとにかく話かけ続けて下さい、という指示があったそうです。
幸い通院歴、カルテがある脳専門の病院を指定し搬送され、一命は取り留めたものの、左手には麻痺、ろれつにも障害が残っています。気の毒ですが、現実です。
私が俯瞰で見れば、それが夜の風呂の中やら、倒れた時に顔を切って出血していた、やらと考えるとこれは不幸中の幸いかと思います。
何より、心配で見守っていたのだと思われるいつもはしゃいで吠える犬も吠えないので、何かがおかしいと思った娘の行動が早期の発見に繋がったと思います。「たられば」で通常なら、その6時間後には確かにその実家に行く予定はありましたが、脳内で出血が広がりまくり絶望だったかと思います。脳内出血は早期発見が重要な症状だからこそ時間の勝負です。
要は、脳内での出血量を時間で最短に留めた、ということでしょうか。
二日後、私も見舞いましたが、男性の無力さを感じました。
そう言えば、父が倒れた折にも、私は彼の話を聞き取れぬまま、父は亡くなり、それはまだ悔いています。皆目わからないのです。
しかし、見ているとろれつも回らぬ母と娘で、完全に会話が成り立っていたのです。横で聞いていて私には半分もわかりませんでした。これは、母娘同士ならではかと思います。
多分に男性は自分の事ばかり語り、偉そうな輩ほど非常事態には笑うほど弱い動物です。人が死にかけていても自分の話をするのが男性の儚さです。ほぼ他の人は君には興味がありませんから。権力などは幻なのですが、男社会の儚さです。
その点、女性は「心の繋がり」がある生物なのかと思います。
いつも思いますが、そもそも、男性は女性の入院用意など出来ませんが、逆は可能です。ここに女性の強さがあります。数人の死に寄り添いましたが、間違い無くそうでした。それが母性なのか神通力なのかわかりませんが。
救えた命の要因は「老人と犬」という事です。
一概に、高齢者が犬を飼うと犬が、という議論がありますが、非常に偏った犬目線であるとも言えるでしょう。
これは実話の話です。
幸いですが、娘が主催する演奏会と夫婦で出演するライブコンサートには出かける事が出来たのが、奇跡でした(が、最後になってしまったかと)。
幼馴染の同じく高齢の男性が連れ出して下さったおかげでした。友人は持つものです。
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